ローカライズが支えるグローバリゼーション

自分の「ローカル」を意識する

欧米人はパーティ好きで、パーティの日程調整から開催後の写真の共有までを提供したことでユーザに受けて成功したと言われている facebook。単に言語を各国の言葉に翻訳するという本来の意味のローカライズではなく、それぞれの国、地域、性別、年代の生活パターンにマッチするユースケースをサーバー(サービス提供者)が提供できたときに、そのサービスが普及する。


グローバリゼーション、グローバルな展開が必要だとどこかの企業が国境を越えて成功する度に騒がれているが、まず自分たちの企業、ひいては自分がユーザに提供できるユースケースは何かということをまず認識しなければならない。
「服」というカテゴリに絞るとしても、室内で着る部屋着、外出用の服、学校や店舗、組織で使用するユニフォーム、強度や重量を改良した運動性に優れる作業着やスポーツウェア、儀式へ向けた豪華絢爛な様式の衣装など必要とするユーザそれぞれにユースケースがあり、提供側はそのうち何を提供できるのか。自分たちの「テリトリー」、「ローカル」をまず認識しなければならないのではないか。自分たちに提供出来ないものを提供しようとしたって、作れないのではグローバルもローカルもあったものではない。

グローバル、ローカル、ユーザの階層的な繋がり

自分が提供出来るものを手に持って初めて、「これは他の領域のユーザにも通用するか」ということを考えることが出来る。ローカルはユーザの集合、そしてグローバルはローカルの集合。この階層的な繋がり、流れを無視して事業を展開しようとしてもうまくはいかないように見える。
(例: この製品は日本で売れているから海外でも(日本というローカルと条件が変わらない筈なので)展開に成功するはずだ)
まずは自分の手に持っているものを今一度確かめ、それをどのように展開出来るか、ということを基本的な思考として忘れないようにしたい*1

*1:ところが世の中には、どこに作っている人と欲しがっている人がいるかを見つけるのがとても得意で、自分でそれらの間をあっという間に繋いで(マッチングして)しまって、瞬くまに事業を拡大してしまうような人種も存在するようだ。いわゆるスゴ腕の実業家ってやつ?